2週間が経ちました。
NZ・Kiwiの知人にメールでお見舞いを送ると、「今回、被害にあった日本人の皆さんをお気の毒に思います」と言葉を返してくれた。
やはりこの2週間、こちら東京の新聞には、ほぼ日本人安否に関する情報しか載せてもらえなかった。もしかしたら、京阪神版や中越、南東北あたりの版には、いろいろ載っていたのかなぁ? もっと、被災現地の様々なことについて知りたかった。 でも、日本(在京)のメディアにそれを期待した僕が間違っていたのかなぁ…?
でも、現地・クライストチャーチ在住の日本人の中には、とても優れた情報発信をしているプロもいる。
http://jdunz.com/newzealand/seikatu/chch_earthquake222
現地でラジオ日本語放送をしている局員Naokoさん。
偶然にも、僕の前任校・江戸川大学のご出身。
近い将来、是非、クライストチャーチにたずねてみたいと思います。
Naokoさんのお仕事、とても感銘を受け、拝読しています。 がんばって!!
ニュージーランドは旧英国植民地でしたので、英国を宗主国とする英連邦に属します。 したがって、クィーン・エリザベスをその頂点に戴きます。
紙幣やコインにもクィーン・エリザベスが記されています。
ところが、ここニュージーランドにはもう一人、女王が存在します。
先住民族・マオリの女王です。
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先日、その女王が亡くなりました。
新聞も一面でそれを報じています。
NPCやオールブラックスの試合も、その開始前にスタジアムで一分ほどの黙祷が捧げられています。
この8月15日、マオリクイーンのTe Arikinui Dame Te Atairangikaahu(75歳)が亡くなりました。
Koroki王の娘として1966年5月23日に即位。
クイーンは1か月前に心臓発作でWaikato病院に入院していましたが、最近退院し、2週間前に誕生日を祝ったばかりだったそうです。
ここハミルトンの隣街・ンガルワヒアのマラエで葬儀が行われました。 ニュージーランド全土からマオリの主だった人たちが集まってきました。テレビでも特に「マオリテレビ」では、その葬儀の模様を具に中継しています。
『ニュージーランド・ヘラルド』(英字)は、 http://www.nzherald.co.nz/feature/story.cfm?c_id=1501103&ObjectID=10396348
『テレビ1チャンネル』のニュース(動画)は、 http://xtramsn.co.nz/news/0,,11964-6195983-300,00.html
http://xtramsn.co.nz/news/0,,11964-6189598-300,00.html
首都ウェリントンの博物館はそれは素晴らしいものでした。
商都オークランドの博物館はいかがなものでしょうか?
朝から天気が良かったので、愛車CX-Turboで一っ走り行ってきました。
構成は、「ニュージーランドの自然・社会・歴史」「マオリ」「戦争追悼」の三部構成で、ウェリントンと同じです。
マオリ・コーナーはマラエが再現されていて靴を脱いで入れるようになっていて、地元の中高生も授業の一環で訪れていました。こうした光景はウェリントンと同じ。
ここオークランドの目玉は、何と言っても最上階の戦争追悼の展示だと思います。
壁一面に、「名誉の戦死」(Roll of Honor)をとげた人々の名前が刻まれています。沖縄の「平和の礎」を想起しました。
昨年5月の大雨洪水で被災したMatataの街のその後を訪ねてみました。
前回の模様は、こちら → http://disasterjune.com/NZ/archives/200602/13-1735.php
瓦礫はまだまだそのまま。
鉄道と国道(SH=ステートハイウエー)の嵩上げ補強工事が進みます。
一軒、目を引いたのは、被災地のど真ん中にある家で、なんと庭には洪水で山から流れ落ちてきた巨大な岩をオブジェとして展示して商売としているではありませんか。
また、家の塀を造作するエクステリアショップが、このあたり、被災地の家の塀の補修を手がけているようで、きっと格安でサービスしているのでしょう、家々の塀にはこのショップの宣伝看板が貼り付けられていました。
NZ滞在も残すところ一ヶ月弱。
首都・ウェリントンの「NZ博物館」は是非一度、行ってみたいと思いながら、まだ実現していません。
首都なのに、そしてこれまで何度かこの街には行っているのに、まだだったんですね。
で、CX-Turboでひとっ飛び、行ってきました。
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さすがに片道500km超なので日帰りは辛かろうということで、ウェリントン旧市街の築100年超の佇まいのホテルに泊まりました。
数年前に一階分増築して全体にリニューアルしていますが、内装などの嗜好は昔のままのようで、重厚なそれでいて質素でリーズナブル(一泊89NZ$=約7,000円程度)でした。
翌朝、さっそく、NZ博物館に行ってみました。
驚いたことに、これだけの内容で入館料は「タダ」。
地元の小学生が大勢、社会科見学のような感じでお弁当持参で来ていましたし、女子高生も学外学習でノート片手に。 図書館も立派でした。
カップルも洒落た喫茶店でデート。
赤ちゃんを連れたお母さんも幼児コーナーで珍しい積み木や絵本で子供と遊んでいます。
「博物館を超えた博物館」と銘打っているだけあって、さすがにナルホド、という内容でした。
このNZ博物館とワイタンギ条約記念館は、僕のお薦めです。
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さて、今日の目的は、
①災害関係の展示
②マオリ、マラエ関係の展示
③アートの展示
でした。
①については、NZの歴史地震の解説では「エッジカム震災」や「アボッツフォード地滑り災害」なども正確・簡潔に展示されていて関心しました。 日本に例えれば、関東大震災や阪神・淡路大震災のようなビッグネームではないけれども、我が国の災害史を語る時に決して外すことの出来ない事例、そうしたものがきちんと簡潔に解説されているという感じでしょうか。
②マラエ関係では、靴を脱いで中をご覧になって下さいという展示や、圧巻は「マラエへようこそ」という案内にしたがって行き着いた先に荘厳にそびえる「現代マラエ(アート)」でした。
③現代美術については、今回は「日本展」と「ピカソ展」がひらかれていました。ピカソがタダなのに、日本展コーナーだけは「ドネーション」(寄付)とは言うものの払わなければ入れない入り口がちょっと敷居が高そうでした。ということで、これは入り口だけ見てパス。
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全体として、本当に素晴らしい博物館でした。 また機会を見つけて是非ゆっくり行ってみたいと思います。 超お薦めです。
帰路、恐ろしく大きなトレーラーに遭遇。
こちらNZでは時たま、家自体の引っ越しに遭遇しますが、今日は、工場自体の引っ越しでした。 それも工場が二軒。 これが時速100kmで爆走するんですから、その迫力たるや。
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僕のサバティカルも残すところあと一ヶ月弱。
どうしても会っておきたい人がいたので、ハミルトンから片道500km強、ギズボンの街に行って来ました。
ギズボンの海辺でしばし休憩。 昨年10月の大洪水の際、海岸に漂流して散乱していた流木は、まだ僅かながら浜に残っていました。
埠頭に出荷を待つ材木の山。
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いつにしようか、いつにしようか…、と思っているうちに、僕の滞在日程も限られてきてしまったので、今日はどうにか雨にはならなそうだ…、ということで。
午後二時過ぎ、身支度を整え、愛車CX-Turboにまたがりました。
今日は4時間、300kmほど走って、北島の東海岸・ホークスベイの中心都市=ネイピアで一泊します。
都市工学がご専門の川西先生(今年、僕の不在のあいだ、専修大学他、もろもろの授業等を担当していただいています)に、大震災から復興を遂げた1930年代・アールデコの街並みをお届けいたします。
街はずれの丘の上から俯瞰すると、こんな感じです。
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とは、思ったのですが、関連資料は段ボール一箱、もう、船便等で出しちゃっているので、古い都市計画図やなんやらは手元にありませんでした。
川西さん、ごめんなさい。 ということで、デジタル写真のファイルから、ランダムに。 こんな素敵な街ですよ。
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1931年にM8の大震災で壊滅したネイピアの街が、当時1930年代のアールデコの建築様式で復興を遂げ、それが「そのまま保存され、使われ続けて」います。
ネイピアと言えば、日本人にはお馴染みですよね。 そうです、あのティッシュのネピアはこの街の名前からとられています。
NZから切り出された木々が、日本のティッシュになっているんですね。
ランダムに写真を貼り付けておきます。
また、アールデコの芸術、日用品デザイン等の一端は、ネイピアにある「ホークスベイ博物館」の中でとった写真が
http://disasterjune.com/NZ/archives/200509/23-1651.php
にありますので、ご覧になってみて下さい。
●さて、今回、どうしてもギズボンに行っておきたかったのは…。
http://disasterjune.com/NZ/archives/200511/21-1327.php
にも書いてあるように、昨年10月末の貴重な出会いに関することでした。
オートバイがエンストしてしまってギズボンで一泊することになってしまったのでしたが、その時、とてもお世話になったのが、ウェイン&スーご夫妻。
「クリスマス休暇(夏休み)には南島縦断旅行をするので、その途中で立ち寄りますね」、と言っておきながらそれが叶わなかったので、どうしてもこの期に一目、お会いしておきたかったこととと…。
実は、もう一人。
バイクを引き取りに来てくれたAA(日本のJAFに相当)のマイクというおじさん。
彼はギズボンで中古車修理・販売会社を経営しているのですが、あの日は当番でAAの休日出動で、僕のバイクをピックアップしてくれたのでした。
落ち込む僕に、車中、ずっと色々話しかけてくれて元気づけてくれました。オートバイのこと、ラグビーのこと、お酒のこと、子供の勉強のこと…。エンストした隣街からギズボンまで30分ほど、それから彼の会社のガレージでの雑談が30分ほど。これで本当に気持ちが落ち着きました。
「修理が終わって、引き取りに来たら、顔を出すね」、とは言ったものの、一ヶ月後の引き取りの日は時間がなくて叶いませんでした。
ず~と、気になっていたので…。
今日、やっとそれが実現しました。 もう半年近くたってしまったけど。
受付の女性に来意を告げると、彼女は社長に来客を伝えに奥に下がり、そしてしばらくして社長マイクの大声が聞こえてきました。
「おー、元気だったか?」
「どうしても、あの時のお礼を言いたくて来ました」
「そうかそうか、で、こども達はNZに残るって言い出したんだろう?」
等々と、次から次へと話しがはずみます。 僕が災害研究をしていてワイカト大学に来ていることも、よ~く覚えていてくれて…。
マイクに会って、帰路、隣街、テ・カラカのガソリンスタンドにウェイン&スーご夫妻をたずねて近況を伝え、一路ハミルトンまで600km、愛車CX-Turboで爆走し、夜9時、帰宅。
これで、いちおう、NZで会うべき人にはもうみんな、会ったかなぁ?
あ、もう一人いた…。 でも、それはここから2000kmも離れた南島だぁ!!
金曜日の午後、玄関をノックする音がしたので出てみると、なんともキュートな女の子が立っているではないですか。
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国勢調査用紙を配布に来たとのこと。
ワイカト大学で心理学を学んでいるErinさん。
アルバイトだそうです。 いちおう、社会学で社会調査などを教えている者として、調査員に対するインストラクションの徹底度などを少したずねてしまいました。
ハキハキと、そして丁寧にこたえる様は、とても好感が持てました。
ということで、今晩、記入してみたのですが…。
やはり、日本とはとても違います。
特に、違う点は…。
①個人票(いわゆる国勢調査)と同時に、住宅調査が別用紙で入っています。
②個人票=国勢調査の特徴としては、
・中国人かどうかたずねる特別の項目が設置してあります。日本人かどうか、韓国人かどうか、そういう質問はないのにね。
・マオリかどうかたずねた上で、先代、先々代のことをたずねています。
・宗教についてたずねています
・同居する同性・異性のパートナーとの関係をたずねています。
・義務教育で獲得した学習レベルをたずねています。
・最近、職探しをしているかどうかたずねています。
③住宅調査の特徴としては、
・個人票を記入した人数(個人票数)と居住人数が同じかどうか確かめられます。
・個人票で調査拒否をした人はどういう人か、たずねられます(年齢や関係など)。
多様な人々が共生するのは、とても難かしいことです。 いろいろ調べておかなくてはならない項目があるのですね。
日本ではまだ、国勢調査などでは踏み込めない内容も多々、ありました。
こちらが「個人票」(第1頁のみ)。クリックすると少し大きくなります。
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そしてこちらが「住宅調査」(第1頁のみ)。クリックすると少し大きくなります。
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今日は二人の子供を学校・幼稚園に送りとどけた後、家事・諸事をすませて、ず~と気になっていた金銀鉱山を見に行ってきました。
CX-Turboで片道100km=約1時間のクルージングで、「Martha(マルタ)鉱山」のあるWaihi(ワイヒ)の街に到着。
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「i」で鉱山についてたずねたところ、ここ「i」から日に何度かツアーが出発しているとのこと。
今日の便はもう予約一杯だけど、鉱山を外から眺めるだけなら、露天掘りの現場を俯瞰する展望台があるからそこからどうぞ、と。
↑ 上二枚の画像は少し大きくなります。クリック!!
「i」の前のラウンドアバウト(信号のない交差点)脇の歩道には、地元小学生が描いた絵画の焼き付けられたタイルがず~と貼り付けられていて、それやここの鉱山を見学に来たこども達で賑やか。
← クリック!!
さっそく教えてもらった展望台に向かってみると…。
まず目に飛び込んでくるのは、100t超の大型ダンプ。 タイヤの直径は2.2mで人の背丈より大きい。 ハミルトンの隣街・ハントリーの炭坑で爆走していたダンプもこれでしたね。
← クリック!!
そして展望台に登って露天掘りの現場を目にしてビックリ。 この大きさ、深さ。
説明パネルを読んでみると、その深さはなんと250m。 すり鉢状の内周に、さっきの大型ダンプが豆粒のようにせわしくはいずり回っている様が見て取れます。
← クリック!!
次回は我が家のこども達にもこの壮大なスケールを体感させたいと思います。
昨年12月中旬に一度訪れたMatataの街。
5月の洪水災害のその後、どうなんだろうか…。 CX500-Turboで行ってみました。
前回(12月)見られたことは、5月の洪水から半年以上経ってもまだ復旧計画等がまとまらず、被災者が宙ぶらりんになっている様でした。http://disasterjune.com/NZ/archives/200512/15-1551.php
あれから二ヶ月。
Matataの街に近づいて感じたのは、海岸沿いの国道の崖崩れ箇所がまたまた増えているなぁ、ということ。
そして、Matataに入ると、以前あった鉄道の高架はなくなっていて、国道は盛り土されて線路を横断するようになっていました。
そして、あの流消失・全壊家屋群は…? かなり綺麗に片付けられてはいましたが、まだまだ大量の瓦礫が山積みで、その一角にはかなり過激な「公共事業反対」の地元住民の声が立て札となっていました。「こんな事業、ごめんだね」と。
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まだ更地化されていない数カ所のうちの一角に自宅を持っているというおじさんに声をかけて話しを聞いてみたところ、まだまだ具体的に話しが煮詰まっていないから、こうして毎日、もう住めないと分かっている家を見回って、少しずつ、モノを運んだりしているんだ、とのこと。
もう少し法制度の規定、運用状況、現場の声を体系的に探ってみたいと思います。
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今日はあいにくの曇り空。 それに天気予報によると、これから雨とのこと。
黄色い雨合羽を持って、納車したばかりの怪物・CX-TurboでSH1→26で北上すること1時間半ほど。
コロマンデル半島のつけ根・テームズにある鉱山関連の博物館に行って来ました。
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ここテームズの街は、これまでも何度か通過していました。
コロマンデル半島へ行くには、必ずここを通ります。そしてその都度、街はずれにある、鉱山跡が気にはなっていたのですが…。
今日訪れたのは、「Thames School of Mines / Mineralogical Museum」です。
100年以上前に作られた鉱山関連の専門学校(ポリテック)の傍らに、博物館が併設されています。
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博物館には、鉱山学校で使う標本が所狭しと。
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来訪者は僕一人だけだったので、館員さんが学校の方にも案内してくれました。
気さくな人で、70年代にはヒッチハイクしながら日本中を2年間かけて回ったという猛者。
日本各地で短期で英語を教えながら資金を稼ぎ、九州から香港に渡って、次は中国全土をまわったとか。
炭坑で働いていたのだけれども、こういうアカデミックな所との接点も持ち続けて、定年後、こうして博物館で働いているのだそうです。
現在では閉じられている、ポリテック(専門学校)のかつての実験室も見せてもらいました。
ついでに、当時のシラバス(講義要項のようなもの)も一部いただいて。

ここは学校になる前は、マオリの人達のお墓があったところで、それを英国政府が交渉して譲り受けてそこに教会を建て、後にそれを改修して学校の実験棟にしたとか。
特別に見せていただいた実験棟は、そう言われてみてみると、三角屋根で祭壇のような教壇でした。
新年早々…って、日本的感覚でした。
こちらでは
1日=New Year Day
2日=New Year Holiday
で、今日3日から全て通常通り。
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さて、年末にタラナキ地方を回ったのですが、どうしても一カ所行かれなかったPateaのSouth Taranaki Museumに行ってきました。
【1月2日】
・出発は二日の午後。 まずはSH3号でハミルトンを出て南下しますが、SH3は途中で南西に進路を変え、タズマン海沿いを通ってニュープリマスに向かいます。
そこで、今日はSH4に乗り換え、ハミルトンから一直線に南下。 5時間ほどで南タラナキ海岸の東のハズレ=ワンガヌイに到着。
・今日はここで一泊。
シティセンターのど真ん中・築100年弱、Olde England…を謳う「Rutland Arms Inn」。
・夕方、カメラ片手に中心市街地を散策。 NZはどこに行っても築100年程度のお洒落な建物が現役です。
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・夕食は歩いていて目にとまった「Beijing」。 味はやっぱりNZ風中華でしたが、シェフのレイモンドさんとの雑談が楽しかった。
客は僕一人だけだったので、手の空いている時間に話し相手になってもらいました。
お父さんの代で広州から移民して、南島・ダニーデンで商売をした後、約50年前に北島・ワンガヌイに移ってきて、そこでレイモンドさんは生まれました。
お父さんは一度離婚しているのですが、前の奥さんは近所で「Peking」という中華料理屋を経営しています。
そういえば、今晩はどこで食事をしようかなぁ、とウロウロしていて、この「Beijing」と「Peking」が気になったんですよね。
レイモンドさんは47歳で三人の子供がいて、長男はオークランド大学でコンピュータサイエンスを学ぶ21歳。
そんな雑談をしていると彼の電話が鳴り、デリバリーの注文。 「話しを続けようよ。厨房へ来てくれないか」と、彼。
厨房を覗かせてくれるなんて光栄だったので、彼の後について厨房へ。
できあがった料理を宅配するので、一緒に車に乗ってくれと。 車中でもいろいろ雑談。 厨房から宅配まで、いろいろ仕事場を覗かせてもらいました。
いろいろ話したのですが、彼も本当は本格的な中華料理を出したいんだと。 四川料理の辛さとか…。 でも、ここNZでは、「NZ風中華」じゃないと受けないから…と。
【1月3日】
・ホテルの部屋の窓から見えていて気になっていた塔に、今朝はまず行ってみることにしました。
「Durie Hill Tower」、標高30m余りの丘の上に立つ、高さ33.5mの塔で、中は176段の螺旋階段。 頂上からは市内が一望できました。 第一次世界大戦の戦死者を讃えて1925年に建てられたそうです。
・その後、市中心にある「Wanganui Regional Museum」へ。 残念ながら館内は撮影禁止。
マオリアートの展示に加えてここの目玉は、古いワンガヌイの商店街を再現したものとか、かわったところでは鳥類・蝶類の展示も。
小学校の教室を再現したコーナーは、本立ての付いている机に小さな椅子と教卓など。 日本で防災関係の視察で小学校を訪れることも多いのですが、あの小さな机と椅子、低い水道の蛇口に小さなトイレ…、これを目にするととたんに優しい心になるのは万国共通ですね。
・ワンガヌイを後にして、SH3を東に爆走すること30分。 目的地のPatea・パティア着。
まず目に入ってきたのは、「Memorial Waka」。マオリの船に等身大の人々が乗り込んでいるオブジェでした。
その向かえには「Patea Maori Club Information Center」。今日は、お休みのようでした。
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・そして、そのお隣がめざす「South Taranaki Museum」。
館長さんが丁寧に出迎えてくれて展示物のレイアウトを説明してくれました。 なんでも日本にも昔、仕事に来たことがあるとかで(晴海の見本市だそうです)…。
ヨーロッパ人の入植当時の数々の資料、マオリ文化のコーナー、そしてワンガヌイの古き時代の日常生活、そして南タラナキ海岸での難破の記録。
博物館の裏の納屋には、整理・展示を待つ消防自動車や農機具、産業機械などがびっしりと。これも自由に見られます。
で、驚いたことに、ここはタダ。というか、「Donation」(お気持ちを入れてください)でした。
・お昼過ぎにここパティアを発ち、ハミルトンに向けて快適に4時間ほどのドライブ。 午6時過ぎに帰着。 一泊二日720Kmの一人旅でした。
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●ニュージーランドにはどこの街に行っても、こうした小さな博物館(のような、場合によってはガラクタ展示場も)と、それと戦没者祈念塔があります。
街を作ってきた人々とその歴史を大切にしている様子が、よ~くうかがえます。
もうすぐ大晦日。
でも、ここハミルトン界隈では、クリスマスからこの晦日まで、まったく「師走」という忙しなさはなく、ごく普通の週末なのです。
天気もいいし、大掃除なんかもする必要ないし、ちょっとドライブがてら山に行ってみようことで…。
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北島の南西に富士山のような円錐状の綺麗な山があります。 タラナキ山。
また、このあたりには、この100年余りのムラづくりの歴史を展示してある小さな博物館が点々とあります。
僕にとってはそうしたムラの資料館を是非、見ておきたいという希望があったので、家族とタラナキ山ハイキングを兼ねて行ってみました。
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【12月29日】
・お昼前 ハミルトンの自宅発。 SH3(国道3号線)で、一路タラナキ山方面へ。 目指すはストラッドフォードの「Taranaki Pioneer Village」。
・途中、まずは「Tainui Histrical Society Museum」へ。お祖母ちゃんが小学生のお孫さんと二人で番をする、とても素朴で小さな博物館。
入場料は「Donation」(お気持ちで入れてください、との小箱)。
ムラに通じる隧道ほりや鉄道開通の歴史等々。 地元の旧家の家族史なども地道にまとめている最中のようでした。
たくさんの作りかけのファイルが山積みになっていて、自由に見ることができました。
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さて、ここから再びストラッドフォードをめざして爆走。
しかし5時前に着いてみると、ここの博物館は4時閉館とのこと。 明日出直すことにして…。
・それじゃあ、目の前にあるタラナキ山に登ってみよう!! と。 まだ午後5時過ぎで明るいし。 暗くなるのは夜の10時頃だから、これから数時間、山に行ってみよう…と。
「ストラッドフォード」はシェークスピアにちなんで、街中いたるところに彼の劇作中に登場する人名や地名が街路名として付けられています。
ストラッドフォードからタラナキ山に登るルートは、これから夕刻にかけて逆光になるので、少し角度を変えてもう少し南のほうのルートから登ってみました。
道も空いているし(日本だとこの時期、帰省・観光で大渋滞ですよね)、日光と雲を見ながら、一番山が綺麗に見えそうな場所に気楽に移動できるのがいいですね。
「Dawson Falls」という所へ。標高902mまで車で一気に登ってきました。
しばし展望台から、2551mの山頂と同心円に広がる下界の眺めを堪能して、すぐ近くにある「Dawson滝」を見学。
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さて、それから、翼と自転車二台で山下りに挑戦してみました。 せっかくここまで登ってきたのだからと。 約9Kmのダウンヒルは平均速度50Km/hと、かなり刺激的でした。
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↑アクリルボードに描かれたタラナキ山の絵図:クリック!!
・今晩はこの辺りの大都市・ニュープリマスのホテル(New Plymouth Quality Hotel:たぶん★★★★クラス)に泊まりました。
こちらでは食材を持ち込んで簡単な料理をしながら旅をするのが普通なので、こうしたいわゆる「ホテル」はあまり人気がありません。
あたりのモーテルは軒並み満室なのに(しかもサマーホリデー料金で一泊150$ほど)、こうしたホテルはガラガラ。 しかもこの時期なのに一泊110$と格安で、ツインの二部屋続き(コネクティングルーム)で、室内にはこちらでは珍しい浴槽付き。
綺麗なプールとスパも自由に楽しめて、こども達には好評でした。
「こんなに泳げるよ」と、調子にのって命綱の浮き輪(両腕に付けるタイプ)をとってはしゃいでいた洋クンは、この後、見事に溺れました。
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【12月30日】
・午前中 昨日まにあわなかったストラッドフォードの博物館へ。
ニュープリマスからストラッドフォードは20Km少しで約15分ほどのドライブ。
「Taranaki Pioneer Village」は15エーカーの敷地に40ほどの歴史的な建物がいろいろ保存されていて、中に自由に出入りでき、そこには様々な資料が展示されています。
古民家、農家の納屋から、学校、教会、裁判所、牢屋まで…。もちろん街中の小商店、例えば床屋、酒屋、ガソリンスタンド、印刷屋なんかも。
かなり見応えのある内容でしたし、広い敷地内をょっとしたハイキングのような数時間でした。
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・さて、今回のタラナキ訪問の目的はほぼ達したので、どうしようかということで…。
タラナキ山が誘っていそうだったので、再び少し登ってみることに。
今日はストラッドフォードに一番近い登り口から、タラナキ山の東方面から登りました。
昨日よりもう少し高い1130mまで登ると、ストラッドフォードの街が眼下に、そして方向を変えるとニュープリマスの海も見えます。
タラナキ山は綺麗な円錐形をしているので、ここからは下界が円く広がって見えました。
・タラナキからハミルトンへの帰路、来た道をこのまま帰るのは面白くないからと、地図を頼りに同方向に向かう「山道」=通称「Forgotton World Highway」(SH43)に入りました。
とても険しい山岳路で、一部未舗装。
そしてこの道沿いにある「北島一落差のある滝」=「ダンパー山の滝」(Mt.Damper Falls)に寄ってみました。
「北島一」という滝、それも夏休みの週末だというのに、僕達以外訪れる者はいない模様。
柵を乗り越え敷地に入いると、そこは人の牧場のようで、放牧されている羊や山羊や牛の脇を通って20分ほど山を上り下りして滝に到着。
「華厳の滝」や「那智の滝」に比べちゃうと小さな滝ですが、それでも落差74mの清らかな滝はあたりの静けさ、美しい初夏の緑の中に美しく映えていました。
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・約一時間ほどの滝への散策後、ここからこの山岳路・SH43をしばらく下り、SH4→SH3と経由して夜、ハミルトンに帰着。
●ニュージーランド中いたるところに、こうした街の小さな博物館がほどよく整備されて公開されています。
また、『Memories』という地域史雑誌があって、こうした博物館の紹介や展示の抜粋紹介などがきめ細かくされています。 こうした雑誌を片手にNZ中を回ってみるのも面白いだろうなぁと。
12月21日(水)をもって、地元の小学校は終業でした。 来年の2月初旬まで、長い夏休みが始まりました。
今日12/21(水)は終業の日。 でもこれがまた、とてもアッサリとした終わりかたでビックリでしたので、その事についてはまた後日。
24日のクリスマス・イブ、25日のクリスマスが今年は週末になるので、このあたりから新年にかけて、観光地等はとても混むのではないかと…。
そこで、今日から数日、家族で小旅行をしてみることにしました。
今回、目指すは北島の最北端=ケープ・レインガ(Cape Reinga)。
お昼過ぎ、小学校から帰える翼を待ってスタートとなりました。 庭の木から落ちたオレンジの実を拾い集めて、ジュースを作り、ドライブの準備は万端です。
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今回の行程は、国道1号線(SH1)をメインに、「Twin Coast Discovery」という北島北部=「ノースランド」を周遊するルートです。
【12/21(水)】
・午後、ハミルトン→オークランド
恥ずかしながら、NZに来て5ヶ月あまり。はじめてオークランドの北に足を踏み入れるのですが、今日初めてかの有名な「ハーバーブリッジ」を渡り、その橋の美しさ、それに眼下に広がるオークランド繁華街の街並みの美しさに感動しました。
・夕方、ワンガレイ(Whangarei)泊。いつも利用しているTop10グループの、今日は「Whangarei Top10 Holiday Park」に。
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【12/22(木)】
・朝、ワンガレイから近くの「Northland Forest Park」に車で入り、カウリの大木を見てきました。
A.H.Reedがこうしたカウリの森の保護を唱道してこうした保護区ができています。
それにしてもカウリの木は大きい!!
・昼、次の目的地パイヒア(Paihia)に到着。Bay of Islandの中心。 今日はここで明日のアクティビティを予約して、ここに一泊します。
・夕方、ワイタンギ条約批准の地へ。 「Waitangi Treaty Grounds」として見学できるようになっています。
条約記念館、マオリの戦闘カヌー、マラエ(マオリの集会所)、ワイタンギ自然保護区などを見て回りました。
・今晩は、ここパイヒアから目と鼻の先の小さな港町・ラッセル(Russell)に片道数分のフェリーに乗って渡って、「Russel Top10 Holiday Park」に一泊。紫陽花が咲き乱れる緑豊かなキャンプ場でした。
が、驚いたことに、ラッセルの街は今日は夕方からずっと停電。 パワーサイト(電源をとれるキャンパーサイト)に来たモーターホーム(キャンピングカーが電源をとることだけのためにこの地に宿泊します)のお客さんも不平不満をこぼすようなそぶりは全くなく、「I Love It」と言えるところは、さすがキャンピングに長けた大人の雰囲気。
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【12/23(金)】
・朝、昨日予約した「Swim with the Dolphin Discovery」へ。船で沖に出て、イルカと一緒に泳ぐというツアーでしたが、あいにくの強風(波高)が原因か、イルカがとても早く動き回り、とても一緒に泳ぐ状況ではないとのことで、残念ながら船からの見学のみとなりました。
・昼、ラッセルで街の博物館を見学。ワイタンギ条約が締結された後、この街がNZの最初の首都となったそうですが、同時に捕鯨船の基地としても栄え、銃の売買がされるようになってからは猥雑な街として栄華を誇ったとか…。
・午後、一路北に向けて。北島最北端の岬に向かう前に、「Sand Dune」という砂漠に足を踏み入れてみました。 本当に砂漠で、目が開けられないほどの砂嵐。 そこでも底抜けに陽気なKiwiは斜面をボードで滑り下って大はしゃぎです。 翼も挑戦。 僕は少し砂丘を歩き、貝殻を集めて回りました。
・夕方。Sand Duneから20Km弱北上して、目的地Cape Reingaへ。 この辺りの20Km弱は未舗装路。
(南)太平洋とタスマン海の波がが激しくぶつかり合う壮大な眺めを堪能。
・夜は、岬の付け根にあたる、カイタイア(Kaitaia)のモーテル「カウリ・ロッジ・モーテル」泊。 それにしても今回の旅は「カウリ」に縁が深いなぁ。
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【12/24(土)】
・今日は南に下りながら北島ノースランドの自然に触れつつ、ハミルトンに戻ります。
・午前、岬の「90 Mile Beach」へ。 ここはタスマン海に面した長い砂浜なのですが、固く締まった砂浜はバスでも劇走できるとかで、その手のアクティビティが売り。
でも、砂浜へのアクセス箇所の砂が深くてヤバそうだったので、2WDのエスティマの我が家は大人しく道端に車を停めて、しばし浜辺を散策。
砂漠の山から吹き下ろす強風で、低く地を這うように吹き飛ばされてくる黄色い砂が、海辺を駆け足で蛇行する様はとても「幽玄」でした。不思議な光景。
・午後、、「Twin Coast Discovery」のSH12を南下して、ホキアンガ(Hokianga)でフェリーに乗って対岸のRaweneへ。 このHokianga港はとても奥の深い港で、奥の方はHokianga川となっていて、このフェリーの就航しているあたりは淡水・海水が入り交じり、時刻・風向で流れがめまぐるしく変わるところでした。
・そのままSH12を南下してWaipoua Forestを通ります。 このあたりから南の方にはまだ、巨大なカウリの木がまとまって残されています。
「Tane Mahuta Giant Kauri」を見学。 よく写真や絵になっている有名なカウリの大木でした。
・夕方、SH12をもうしばらく南下してKaipara港の近くのMatakohe(マタコヘ)にある「カウリ博物館」へ。とても見応えのあるいい博物館でした。
・6時過ぎにKaipara港を過ぎ、明るいうちにSH1でオークランドへ。 久しぶりに豚骨ラーメンを「大黒」で。 日の暮れる午後10時頃、ハミルトンに帰着。
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三泊四日、NZ北島・北方の旅でした。
①オークランドのリゾート・パイヒアの華やかな街並み。
②NZの歴史を語るワイタンギ(条約の街)、ラッセル(捕鯨の街)。
③強風の砂漠といった荒々しい自然の最北端。
④カウリの大木と林業、そして今は環境保護のノースランド西海岸。
NZの色んな顔に出会えたドライブでした。
エッジカムの帰路、海岸沿いを走るSH2に面する風光明媚な街・マタタMatata洪水の被災地を歩いてみました。
この綺麗なクラッシック&ビンテージカーは、途中、雨宿りしたテプケの「クラッシックカー博物館」の展示車両・かの名車「モーリス8」。そしてもう一台は、マタタ洪水でゴミとなってしまった車種不明。
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今年の5月中旬、ここBay of Plentyで大雨があり、このあたりの崖地ではあちこちで崖崩れがあり、ここMatataでは土石流、地滑りが発生して大きな被害が出ました。
それでも幸いなことに犠牲者は出ませんでした。
今日は、1987Edgecumbe地震の現場を踏査した帰路、Matata洪水の現場を歩いてみました。
SH2の上を鉄道橋が跨ぐところで、大規模な復旧工事が行われています。 背後の山が崩れて(地滑り災害=Landslide Disaster)橋・線路ごと押し流されてしまいました。
山からSH2に移した目をそのまま海岸沿いに送っていくと、そこは押し流された家屋や瓦礫の山々。
ちょうどそこに、お散歩途上のおじいさんの姿が見えたので、ご挨拶してみると…。
この近所に住むNolan Rossさん。
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「うちは大丈夫だったんだけど、隣の家がね、流されて…。そのまんま、ほら、あそこにある家」、「でも、お隣さん達、みんな大丈夫だった」、「死者は出なくてよかったよ」と。
おじいさんに案内されて被災地に足を踏み入れてみました。 なるほど、土台からそのまま押し流されてここに漂着した家が何軒か、それぞれアッチコッチを向いて、でもよく見るとかなりひしゃげて、いわゆる「全壊」です。
タンスなどがまだそのまま放置してある家、壁に「不安定立ち入り危険」のマークが記されている家…。
真新しい家もあるのですが、電気や水道が復旧していないので、今は誰もこの一角には住んでいないとのこと。
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被災から約半年。 先週あたりやっと政府から今後の見通しが発表されました。
これが出るまで、被災者はもとの家に戻ることすらできず、仮の家での生活を余儀なくされていました。
被害額がなかなか確定せず(復旧工事が拡大していったことで)、当局の財政負担・保険金支払額等の見通しが立たなかったことで、地元政府とともに編み出す復旧・復興プランが棚上げになっていたようです。
ようやく出てきた当局の今後の見通しによると…。
土石流を発生させた川の上流にダム(おそらく砂防ダムか?)を造り、鉄道・SH2などの路線変更を含む大規模な公共事業を含む街の復興計画。
住民(被災者)にはそれに同意してもらわなくてはなりませんが、その費用負担が被災者にも及ぶとのことで賛否両論のようで…。
もう少し詳しく調べてみます。
あまり天気はぱっとしないけど、片道200KmをGSX400Xを飛ばして行ってみることにしました。
「1987年Edgecumbe地震」と「Matata洪水」の地へ。
まずは、1987Edgecumbe地震の被災地。
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Edgecumbe、これ何と読むんでしょう?
インターネットで調べてみると、日本人も何らかのつてでこの小さな街を訪ねているようで、その日誌の類に出てくるこの地名の日本語読みを眺めてみると…。
・エジキム
・エジクンベ
・エッジカンブ
・エッジカム
と様々。 で、どれが正しいか分からなかったので、地元に着いてから街の売店のオバチャンにたずねたところ、「エッジカム」が一番近いようでした。
さて、今日は朝の家事・雑事を済ませて、10:30に愛車・GSX400Xでスタートです。
あまり天気予報は芳しくないのですが、黄色いオートバイ用のレインウェアを持って、片道200Kmのツーリングです。
ハミルトンからまずはSH1で南東に下り、ティマルの街でSH29に入ってBay of Plenty(北島・北東の海岸線)へ向けて東進します。
途中、「カイマイ・ママクの林」と呼ばれる山を越えます。 このあたりで、天気予報通りシャワーに見まわれましたが、山を越してBay of Plentyの海岸線はとても良い天気。
← クリックしてみてください。少し大きくなります。『The Great New Zealand』(レンタカー会社マウイの無償配布地図より)
Bay of Plentyの海岸沿いを一時間ほど100Km/hで巡航して、ファカタニ(Whakatane)の手前の街・エッジカムに着きました。
この街は1987年にM6.3の直下型地震に見舞われました。その地震の規模(M)は小さいものの震源が浅かった(約8km)ことで、局地的に大きな被害に見舞われたとのこと。
でも、それから20年近く経っていますし、今頃街を見に行っても何か見いだせるのか…。
はなはだ心許ないところでしたが、ツーリングがてら行ってみることにしました(前震があったことで皆用心し、犠牲者は出なかったということです)。
とても小さな街で、数件の雑貨屋に一軒の飲み屋(tavern)、それとガソリンスタンドが一つ。 こ綺麗に庭を手入れしてある民家に、小学校とカレッジが一つずつ。
そして震災の名残といえば…。
事前に文献で目にしていたものには、
・「牛乳工場」のステンレス貯蔵タンクの倒壊
・80tの鉄道機関車の横転とグニャグニャに曲がった線路
・郊外の牧場・畑に延びる地割れ
でしたが、今回見ることができたのは、牛乳工場の入り口に展示されていた「曲がった鉄骨」と「震災概要掲示板」。
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震災概要とこの鋼鉄掲示板の由来が綴られています(英語ですが)。 クリックしてみてください。
この震災がなぜNZで有名かというと…。
「それなりの(「あまり大きいMではない」との意)規模」なのに「NZで最も高価な地震」と呼ばれているから。
つまり、地震委員会(Earthquake Commission)が支払った保険金額が史上一位だということ。住宅と小商店への支払いが1億3,600万$だったそうです。
ところで、今日はここエッジカムの帰路、同じBay of Plenty沿いの街・マタタ(Matata)に立ち寄りますが、ここの洪水被害は政府からの支払い等の決定がなかなか出ずに、被災から半年経った今も被災者は自宅に戻れない事態が続いているとのこと。
どのようなことになっているのでしょうか…?
タウポ湖の南側はトンガリロ国立公園(ナショナルパーク)で、2000m級の火山が連なり、山麓にはスキー場も点在します。
NZ150年の近現代史の中でも数回、こうした火山が噴火していて、その記録や防災上の教訓などを盛り込んで、こうした博物館・展示コーナーが設けられています。
タウポ湖周辺の火山地帯を周遊するVolcanic Loopを通り、SH4で北上してナショナルパーク入り口で右折して山に向かうとWhakapapa Village(ファカパパ村)があります。スキーや登山のベースとなっている街です。このWhakapapa Villageの「i」に併設されている「Volcanic and Cultural Center」(火山文化センター)に行ってみました。
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見応えのあるマオリアートで出迎えられ、中にはいると大きな地形模型。このあたりの地形がよく分かります。
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こども達は、「このあたりの生き物たち」というコーナーに展示されているポッサム(セーターの素材にも使われる「害獣」(扱いされています))やキウイ(NZの幻の野鳥)の剥製に引き寄せられていきます。
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展示されているパネルや自由に閲覧できるファイルなども分かりやすくよくできていると思います。ファイルなどは、「手動GIS」とも言うのでしょうか、いろいろな情報を透明シートに描き込んで、それをベースとなる火山地図に重ね合わせるという提示の仕方がされています。
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また一角には何やらPCが一台おかれていて自由に触れるようになっていたのですが、これは「地質・原子力科学協会」のHPが紹介でした。コンピュター端末をいじると出てくる説明は分かりやすく作り込まれていて、中には「火山災害時の人的要因」なんて僕には馴染みの内容もありました。
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SH1(国道1号線)がNZ北島のヘソにあたるタウポをこえると、この湖の東側を南下していきますが、このあたりは荒涼とした砂漠地帯で、SH1も「Desert Road=砂漠路」と呼称されます。
砂漠路サイドはNZ軍の演習地になっていて、この荒涼とした風景は、映画「ロード・オブ・ザ・リングス」のロケでも使われたそうです。
この砂漠路を抜けた最初の街・「ワイオウル」に軍事博物館があります。
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SH1沿いに大砲やら戦車やらが並び、背後にガッチリとした精悍な感じのする博物館建物が控えます。
入り口を入るとカフェ、トイレ、お土産コーナー。ここは入場料がかからないスペースなので、ドライブがてらトイレだけに立ち寄ったり、ちょっとコーヒーブレイク!!と使うこともできます。
しかし、有料の博物館スペースへのエントランスからは、内部に続くとても綺麗な回廊と、特別展のいかにも興味をひくポスター等が視界にはいるようになっていて、思わず足を向けてみたくなります。
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内部は、どうなんでしょうか?
NZ軍が、その旧宗主国・英国に続いて、世界各地で戦闘に参加した模様が、兵器や各種写真等で再現されています。
戦死した者を讃える「Roll of Honor」(名誉の戦死)に関する展示は、戦場での勇ましい戦いの姿(実物大の戦場模型)や授与された勲章の数々。
収容所の模様なども再現されています。
また、各時代・各国で使用された銃も網羅的に展示されています。こうした実物を目の当たりにすると、そのコレクション的な展示に感心するとともに、背筋が冷たくなって何やら嫌な冷や汗をかいている自分に気付きハッとします。
野戦病院で片足の切断手術をしている場面が等身大の模型で展示されていたり、兵舎の壁に張り出されていたグラビア写真がそのまま展示されていたりと、戦場の生々しさも伝わってきます。
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そして、今回は「ヒロシマ・ナガサキ特別展」が一角に用意されていました。 そのコーナーの入り口には、まず、「かなり生々しい内容なのでお気をつけください」の「警告」。
そして日本人にはおなじみの、あの被爆現地の惨い写真の数々。我々はそれらの写真を生涯これまで何度か注視し、その解説をほぼ内面化してきていると思いますが、であるから今回、僕の視線は必然的に、このコーナーで立ちすくんでしまっているNZ人に向けられていました。 中にはしばし写真の前で呆然と立ちすくんでしまった初老の紳士や、ご主人の肩に顔を埋めているご婦人や。
NZは「環境」を死守する立場から原子力の利用は発電を含めた平和利用をも断固拒否するスタンスを堅持していて(したがって、そうした延長としてアメリカという国に対して明確に一線を画しています)、そうした意味で「ヒロシマ・ナガサキ」を「頭で」理解している人は多いのですが、こうして実際に生の現場写真を初めて見て、あらためて衝撃を受けるようです。
そして今この瞬間にも、あの被爆が原因で苦しみ亡くなっている人がいる…、という事実を知る段に及んで、彼らは改めて核兵器、そして戦争の人非人的側面を実感するのです。
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博物館の上階は専門図書館となっています。かなり充実しています。
そして館外に出ると、再び大砲と戦車が視界に飛び込んできます。
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NZ北島を移動する場合、動脈・SH1(国道一号線)を利用すると、島のヘソに当たるタウポを通ります。タウポ湖自体がそうですが、周囲にそびえる美しい山々とその風景は、火山活動によってできあがったこの世の芸術です。
そんな火山活動の歴史や防災について分かりやすく展示しているのが、この火山博物館です。
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お隣にはもう一つ興味深い建物があります。
「WAIRAKEI Research Center」という「地熱・原子力科学協会」の研究センターですが、こちらは観光用ではありません。
さて、火山博物館にはいるとまず目にはいるのが、「地形模型」。タウポ湖周辺の火山帯の模型です。
その周囲には、数々の説明パネル。
こども達も大変興味を示すのが、一坪ほどの地震体験部屋。
奥にはもう一部屋あって、そこは映像ルームで、10~20分の短編映画を次々に上映しています。
お土産コーナーには、専門書も陳列されています。
子供からこの学問分野の大人まで楽しめる展示となっています。
こどもには入館の記念に、額にマオリの刺青の文様のスタンプを押してくれるのも楽しいですね。
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今日は午後から、オークランドの海洋博物館に行って来ました。
NZの災害を調べていくと、海難事故が多く記憶・記録されていることがわかります。
そのうちの一つ、「HMS Orpheus(英国艦船・オルフェウス号)沈没事故」について、その詳細が展示されているコーナーがあるという、オークランドの海洋博物館をたずねてみました。
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オークランド市街地の最も美しいハーバーの一角に海洋博物館はあります。
多くの観光客が美しいヨット、クルーザーを前にして、カフェで一息ついているウォーターフロントです。
マオリと海の歴史、捕鯨の記録、豪華客船の紹介等々…、そして二階の一角が「HMSオルフェウス号沈没」のコーナーです。
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1863年1月31日、シドニーからオークランドに向かっていたオルフェウス号は、オークランドの入り口・マヌカウで座礁し、沈没。乗務員259人のうち189人が犠牲となりました。
海洋博物館のこのコーナーには、この沈没した英国艦船から後に引き上げられた数々の物品が展示されていたりもしたのですが、僕の目をひいたのは、「なぜ、オルフェウス号はそこで沈没したのか」という説明の一部にある、「それでは、なぜ、その時、その辺りにいたのか?」という箇所でした。
「なぜ沈没したのか」については、初めてのオークランド付近の航海で海底地形について熟知していなかった…等々と原因が列挙されていますが、なぜ、そもそもそこを通ることになったのかについての説明がとても興味深いものでした。
19C、英国は世界各国の植民地経営のためにこうした艦船を派遣していたのですが、ちょうど1861年に勃発したアメリカの南北戦争で英国は南部を支援していて、その一環でオルフェウス号は北米に派遣され(物品搬送の護送等)、その任務が一段落してオーストラリア・NZに戻ってきていたとのこと。19C中頃はNZ南島でマオリとヨーロッパ入植者の衝突が絶えず、こうした軍隊の駐留が必要不可欠だったのですね。
そしてこの時、オルフェウス号には水先案内人としてマオリが乗船していたのでした。
英国植民地経営、マオリとの複雑な関係などがこの艦船沈没の背景にあることがよ~くわかりました。
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後日、オルフェウス号が沈没したマヌカウ・ハーバーを見に行ってきました。小高い丘の上から引き潮の時刻に穏やかなタスマン海を眺めると、なるほどそこここに浅瀬が浮かび上がるように見えます。で、オーストラリア・シドニーからこの港に入ろうとして、あの浅瀬で座礁したんだなぁ、と納得。
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●現場を俯瞰すると、活字で得られた知識が総体として理解できますね。
1953年クリスマスイブの晩。
北島のほぼ中央、タンギワイにかかる橋が土石流で押し流され、それを知らずに急行列車が川に転落。
この事故で151名が亡くなりました。
タウポ湖から眺めると南にそびえる二つの山々。 間近で見るとちょうど、八ヶ岳と富士山の間を走り抜けるようでした。
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NZの災害を俯瞰してみると、日本で言う「地震・雷・火事・親爺」とは異なり、「炭鉱・海難・地震」のようです。
島国故、海難事故が多く、また、一昔前には炭鉱災害が多発していました。 大きな地震も数回。
事故の類では、海難事故の他、列車事故、航空機事故などが起こっています。 ただし、被災の規模はどれも犠牲者数は数百人。 日本で数千、数万というオーダーの大災害にデータ上、馴染んでいるので、さほど大きな被災とは感じませんが、人口規模が1/30ということを勘案すると、局地的な痛ましい大災害です。
今日は、そのうちの一つ、列車災害の現場をたずねてみました。
タウポ湖の向こうにそびえるツインピークスの裏手、荒涼とした砂漠地帯(このあたりは軍隊の演習場で、富士の裾野の様)からさきほど眺めたツインピークスの裏手の山麓に広がるスキーリゾートに向かう途中の山間の鉄道の鉄橋。
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この山の氷河が陥没して大土石流を発生させ、その濁流が橋桁をなぎ倒したのでした。そこにウェリントン発・オークランド行きの急行が突っ込み、先頭の蒸気機関車と前5両が濁流に呑み込まれ、乗客・乗員285名のうち151名が死亡、20名の遺体は発見されませんでした。
今ではのどかな山間の、景色の良い休憩所というたたずまいの現場ですが、そこには記念碑と調査報告書の抜粋が展示されていて、しばらくそこにたたずんでいると、学外学習の女子高校生のバスがトイレ休憩に立ち寄り、引率の先生がここの逸話を紹介していました。
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先頃買った僕のオモチャ、GSX400X(通称・「東京タワー」のクラッシク&ビンテージ・バイク)で、今日は片道350Km(往復なんと700Km=9時間)のロングドライブで、ここタンギワイまで来ました。
午前中、家事・雑事を済ませ、ガラ空きの国道一号線をひたすら100Km/hで爆走。 タンギワイの記念碑の回りの野花・芝生で一休みして帰路へ。
夜9時、まだまだ薄明かりが残るうちに帰宅となりました。 この年で700Km走ると、やっぱり辛い!!
翌日、ワイカト大学図書館で関連文献を一通り取りそろえてみました。
こちらではこうした災害・事故が発生すると、政府により調査機関が設置されて、ほぼ同一スタイルの報告書が必ず刊行されています。
『Tangiwai Railway Disaster Report of Board of Inquiry』,R.E.Owen,Government Printer,Wellington,1954.
この週末、道路啓開が済んでいるとの情報を得て、ハミルトンから南東に400Kmほど走ったところ、ギズボンの街を訪れてみました。
←『Explorer Spring2005』(無料観光案内パンフ)より
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先週末の大洪水の跡として特に目をひいたのは…。
●郊外の牧場・農家の洪水・土石流被害●
ギズボンの街から郊外に向かって、国道(SH)2号線を下ること15分ほど。
このあたりギズボンの郊外は、牧場や葡萄畑が広がるのどかな農村ですが、ワイパオア川沿いのこのあたりは、一面洪水の跡=土石流が激しく辺りをなめ回し、土色の世界でした。
ところが、この大水害で死者は一人も出ていません。それは何故だかたずねたところ…。
もちろん、Civil Defenceの迅速・適切な対応・指示があったことは各種メディアが伝えるところですが、それ以外に…。
このあたりの牧場、農家は、この100年余りのあいだに山林を切り開いて来ました。 そしてもちろん、保水力を失った山林がどのように水を下流にはき出すかも、毎日、自分の牧場・農地を見て分かっています。
上流から同様にして大量の水が川に流れ込み、洪水となった場合も、このあたりでは何処が浸水しやすいか、日頃から熟知しています。
ですから、多くの雨が降り水位が上がり始めると、みな低地を注視し始めるそうです。
そして、各自の判断で高台に避難します。 最後まで、そこにとどまった者もいて、それら猛者のうち幾人かは、ヘリで救助に来た隊員に救われていきました。
ここでも地勢に基づき自己責任で振る舞う農夫の姿が強調されています。
←『Gisborne City』(観光案内所配布の無料地図より)
●中心市街地・海岸の流木●
ギズボン中心市街地は南に美しい砂浜を抱えています。夕日のとても綺麗な砂浜です。
ところが今、この砂浜は大量の流木で埋め尽くされています。
ギズボンの街の西には上述のワイパオア川、東にはトゥランガヌイ川が流れていて、その二つの川が上流から大量の土砂とともに流してきたのがこれらの流木です。
被災から一週間。多くのマンパワーは、動脈である国道(SH)2号線、36号線沿いの氾濫土砂の撤去、再舗装、そして至るところで発生している崖崩れの処置に追われています。
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サマータイムになり夜は8時過ぎまで明るく、夏の海水浴シーズンを迎え始めているギズボンの砂浜には、まだまだ海水浴シーズンは来そうにありません。
それでもたくましい地元のこども達。 砂浜でのラグビーに飽きて、ひと泳ぎした後は、暗くなるまで流木をかつぎだして秘密基地を作ってはしゃぎ回っていました。
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●ギズボン郊外の農家では、電気が復旧せず、したがって水も届かない世帯がまだまだあるそうです。そして財源がないことから、地区政府も電力会社も、保険会社の支払いがない限りは手をつけられないと回答しているようで…。
こういう時に動くはずの「Earthquake Commission=地震委員会」について、これから少し調べてみます。
このところよく雨が降ります。 そして近所のワイカト川の水もかなり増していて、川沿いの遊歩道や緑地は冠水していました。
← HERALD on SUNDAY 2005.10.23 より
昨日はNPCラグビーでオークランドが優勝したので、それも一面トップのニュースでした。
日曜日の新聞の一面は「Flood chaos」とあって、今回の北島・東海岸の大洪水は1988年のサイクロン・ボラ(Bola)以来の大被害だと、地元のシビルディフェンスは発表しています。
そして、11,000Kmかなたのアメリカ大陸ではハリケーン・ウィルマ(Wilma)が明日にも上陸か、とあわせて報じています。
← HERALD on SUNDAY 2005.10.23 より
先頃訪れたホークス・ベイのネイピアから東海岸を北上してギスボーン(Gisborn)あたりでも多くの家屋・道路等の被害が出ています。
ちょうどこの週末は10/24(月)の休日Labor dayにかけて三連休で、この北島・東海岸一帯のワイン産地では「Wine and Food Festival」が予定されていて、多くの観光客がNZ中から集まりつつありました。
今のところ人的被害の報道はありません。自分なりに少し各種情報を収集して状況を把握し、できれば現地を踏査してみようと思います。
今週末、10月14日(金)・15日(土)を核にして、「北京日本学研究中心・創立20周年記念国際シンポジウム」が北京にて開催されます。
僕が1994年春学期に赴任していた時に10周年記念のシンポジウムが開かれました。 そして今年2005年春学期、二度目の赴任。 今回の20周年記念のシンポジウムでは李国慶さんら研究仲間が共同研究の成果を報告したり、10年前の教え子(とは言っても、今では僕よりも、ずっと立派な大学教員になっているんですけどね)が報告するなどの情報をもらっていたので、ここ南半球のNZから丸一日かけて北京に飛んでみることにしました。
詳しくは、このブログの別の項(http://disasterjune.com/china/)に載せていきますので、そちらも是非、ご覧になってください。
今回の北京行きのもう一つの目玉の一つは、久しぶりの本格的な中華料理(家常菜=家庭料理)のなかでも「水煮魚」を食すこと。 春学期、これに相当はまりましたからねぇ。 さてさて…。
13日朝8:00の便でオークランド国際空港出発(チェックインは朝6時厳守!!)なので、今晩は空港近くで前泊となりました。 「Need it now」(http://www.needitnow.com/NeeditNow/NeedItNow.asp)というインターネットのホテル予約サイトを見つけていたので、それで予約にトライ。 オーストラリアのサイトなのですが、NZの宿も結構たくさん載っていて格安。 今回は、空港への24時間送迎付きのモーテル(一泊85$)を予約しました。
それでは、北京に行って来ます。 詳細は、このブログの別の項(http://disasterjune.com/china/)をご参照下さい。
今日は午前中からお昼過ぎまで、ゆっくりホークスベイ博物館を見て回りました。
ホークスベイ大地震(1931年)から美しく見事に復興成し遂げた模様を、様々な角度から展示してあります。
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ちょうどその時代だったので、街中の建物やオブジェはみなアールデコしています。 それらをほどよく凝縮して、しかしながらマオリの民族文化ともとてもうまく調和しているんですね。
震災関連展示は、その大概が小冊子にきちんととりまとめられていて、嬉しいことにはそれがとても安価(2.5$)なこと。
ダニーデンのオタゴ・セツラーズ・ミュージアムの「アボッツフォード地滑災害展」でも、これを作ってくれてあれば良かったのにね、シアン館長さん!!
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1931年、ホークスベイ大地震が発生し、この海辺の街「ネピア」は壊滅します。
そしてその時代の復興は「アールデコの街=ネピア」を造り上げました。
午前中、ハミルトンから高速バスに乗って、途中、湖の保養地・タウポでバスを乗り換えて、3時過ぎにネピアの街に到着。
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宿を確保してから、街歩きをはじめました。
この町には2003年に家族とキャンピングカーでちょっと立ち寄っていたのですが、ここにあるホークスベイ博物館の震災関連の展示がすばらしかったので、もう一度、じっくり見ておきたいと思っていました。
今日は夕方行ってみたのですが、映像等のアトラクションが終わっていたので、明日また出直すことにして、暗くなるまで数時間、カメラ片手に「アールデコ」の街を歩いてみました。
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【9月9日】 ダニーデンからハミルトンへはダイレクト便はないので、どこかで一度降機(乗り継ぎ)しなければなりません。 せっかくだから首都のウェリントンに立ち寄ってみることにしました。
●〔繁華街〕 「i=インフォメーションセンター」のあるシビックスクエァあたりに、タウンホールや図書館、博物館などが固まっています。
今回泊まったのは、この「i」の斜向かいにできた新しいタイプのホテル。
この辺りから港にかけて少し歩いてみました。 国立公文書館や国立図書館などはここから少し北の方面、ウェリントン駅の界隈にあります。
今回はそこまで足を延ばすことはできませんでした(次回に)。
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●〔旧市街地〕 ダウンタウンは繁華街から少し標高の高いところにあります。
キューバSt.などがダウンタウンの雰囲気なのですが、この通りはわずかな上り坂になっていて上に行くにしたがって猥雑さが増していきます。
標高の低い・水辺に近いところにそうした界隈はあるものだと思っていると、ちょっと不意をつかれます。
再開発が進んでいるのも少し標高の高い、海辺からは距離のあるところでした。
歴史的建造物(築100年程度の通り沿いの建物)の保存もそこここで行われています。そうした工事現場のフェンスはみなアートしていました。
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●〔ケーブルカー〕 繁華街のデパート等が密集する地区の、狭い路地を一本入っていくと、そこにケーブルカーの乗り場があります。
これも不意をつかれます。 住宅地を抜けて山頂まで約10分くらい、120mほど登ります。
途中でそこの住宅地に住む人達が乗り降りします。
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●〔ビクトリア大学〕 ケーブルカーの終点、山頂は植物園になっています。
余り時間がなかったのでそこはパスして、天気のいい午前中、下りはケーブルカーに乗らずに徒歩で住宅地の間を歩いてみました。
途中、ビクトリア大学のキャンパスを通り、最後は住宅地の路地、それもかなりの高低差の階段を勘を頼りに降りていくと、急に、斜面に林立する高層ビルの地下駐車場に迷い込んだり、そして、そこから向かいのビルの屋上からまたビル内の非常階段をおりていくと、最後はあのケーブルカー乗り場のある繁華街のショッピングビルの脇に出ました。
不思議は丘くだりでした。
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ウェリントンの空港を飛び立ち、富士山のようなタラナキ山を眺めながら1時間ほどのフライトでハミルトン空港へ。
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ダニーデンで古巣・江戸川大学の海外研修のクラスでフィールドワークについての講演をした後、ダニーデンと、そして帰路たちよったウエリントの街を歩いてみました。
【9月7日】
ダニーデンのオタゴ大学内を流れるストリーム沿いは、桜が満開でした。 立派な桜の並木になっていて、今年二度目の花見となって、なんだか得した気分。
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●〔学生街〕で、このように二軒長屋風の平屋の学生宿が続きます。 中には、こんな風に二階建てのものも。
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●〔歴史的建造物〕 ダニーデンの街は築100年以上の石造りの歴史的建造物があちこちに。
教会をはじめ、昔は港町の中心市街地の銀行や問屋などなど…。
市街地のメインストリートは、表を化粧直しして、ブティックやレストラン、雑貨屋などに…。 様々に日常的に使われています。
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●〔ダニーデン駅〕 街の中心・オクタゴン(放射状に拡がるラウンドアバウトがあって蛸の足のようだから…?)の南に位置するダニーデン駅。
中も外もとても風格ある建物で、勝手にホームに出てあちこち見て回って疲れたらコーヒーで一服。
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●〔B&Bも歴史的建造物〕 今回、ダニーデンで宿泊したのは、「Hulmes Court B&B」。
1860年代に建てられた歴史的建造物で、これまた由緒ある煉瓦造りの風格漂うオタゴ女子高校の道路向かいにあります。
玄関、ロビー、リビングととても重厚な造りで、宿泊した僕の部屋は2ベッド、朝食付きで65$(1$=約75円)でした。
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●〔オタゴ・セツラーズ・ミュージアム(博物館)〕 オタゴ駅のすぐ西にある博物館。 オタゴ開拓の歴史や、古き良き時代の機関車、車、オートバイなども常時展示されていて、子供から老人まで飽きさせません。
ここの館長のSeanはナイスガイで、これまでも何度か僕の現地調査のバックデータについて資料を提供してくれました。 彼のことはまた別の機会に。
今回は、「ダニーデンの第二次世界大戦」という特別展をやっていました。 Roll of Honour=戦死者名簿の展示は、オキナワの「平和の碑」を想起させました。
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9月7日、オタゴ大学(オタゴ・ポリテック)で研修中の江戸川大学社会学部一年生を対象とする講演(テーマは社会学的フィールドワークについて)のためにダニーデンを訪れました。
そして、1998年のホームスティ以来、僕のNZの父母である Pat & Ivan Mclachlan を St.Clair のお宅に訪ねました。
ダニーデン市街地の南に位置する St.Clair 海岸は、とても素敵に再開発されていました。
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さて、海岸から歩いて10分ほど。 Pat & Ivan のお宅、50B Hargest Cres.の目印は、道に架かる大きな木です。 見えてきました。 道から一軒奥の家。
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ベルを鳴らして、いつものようにダイニングの指定席について、夕食をご馳走になります。
今日は、ご夫婦の長女(近所に住んでいます)の家にホームスティしてオタゴ女子高校に通う日本人留学生サトコがお邪魔していました。
こうして、しばしば学校の帰りに遊びに来ているようです。
今日の晩ご飯は、Patご自慢の「鳥の照り焼き丼」。 Ivanも一緒にビールで乾杯 !!
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さて、食事も終わって、サトコをご夫婦の長女・ブリジットのお宅に送ります。
ブリジットは、地元・グリーンアイランド・ラグビークラブの元主将、ジェイソンと結婚して二児の母親。 長男ケィシーがねむい目をこすりながら起きてきてくれました。
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●僕とPat & Ivan 出会い、 僕とジェイソンの出会いについては、あらためて書きます。
フィールドワークにおける出会いと継続…、これを語るのにピッタリのお二人です。 乞うご期待 !!